繭の生糸

食べたものや愛犬のこと、B'z、ドラマや映画。また、いろいろ想うこと

結局、観てしまう

オリンピック、パラリンピック、あれだけ「何考えてんだ」「中止‼︎」など否定的だったのに始まると結局テレビやネットで観戦してしまっている。

常人には不可能な技を見ているのは精神的に良い感じがするし、経済を回している実感がすごい。

特にパラリンピックは人の限界を超えた様を見ている気がして想像以上に面白い。

トレンドブログっておかしくない?

知り合いの知り合いに、マルチのいろいろにハマっている人がいまして。

ヨガだの自然食だの、健康志向もものすごくお高めのブログも長年書いていた人なんですが、何があったか勤務医の旦那さんと突然の離婚、その数ヶ月後に脳の病気で利き腕が麻痺してしまった気の毒な経歴の持ち主なんです。

自慢の高級マンションのベントハウスには子供と二人で住み続けることが出来るようですが、平静を装ったブログやインスタ、中々痛々しさが感じられるものです。

 

で、マルチにハマりやすいその人が、片腕に障害を持ちながら稼ぐ手段に選んだのが『トレンドブログ』というもの。

世間で注目を集めている話題を掘り下げるブログ、という名目なんでしょうが、その人に限らずネットを徘徊して情報をつまみ取り、自分の勝手な憶測も交えて作るものなんですね。

 

「執筆」が忙しいと言っていますが、自分は手も足も使わずなので取材したり資料を集めての本当の執筆とはまるで別物。

 

そういうの、ネットの無い時代なら『盗作』って言われていたんだけどな。

のぶみはダメやろ

似非スピリチュアル系で人気の「絵本作家のぶみ」という人、どういう経緯なのかは不明ですが今回のオリンピック開会式の構成に参加していたとか、言語道断ですね。

本当、誰がどうやって人選したのか怪しさいっぱいです。

 

似非スピリチュアルって必ず『楽して金儲け』が目的になってると私は確信してるのですが、金儲けで繋がった人脈がオリンピックという金脈に群がって駆け引きがあるんでしょうね。

 

知り合いの知り合いにそっち系どっぷりの人が『楽して金儲け』のポリシー実践でトレンドブログやってるんですが、のぶみ騒動には一切触れていないのも予想通りで笑えちゃいます。

 

 

出来ないことへの後悔

この歳(五十代後半)になってしみじみとこれまでの人生を反芻することが多くなってる気がする。

中でも子供の頃から『いつかあんな風に』と漠然と思い描いていた将来の姿が殆ど実現していないことに気がついた。

そしていちばんの後悔は運転免許を取らずに来てしまったこと。

二、三年前までは今からでも取得と思うこともあったが様々考え合わせて諦めている。

普通免許所持が就職時に必須ではなかったこと、親が『女子は運転に向いていない』考えだったこと、自分でも『いつかそのうち』と先延ばししているうちにタイミング合わずに来てしまった。

中年になりやりたい仕事が殆ど免許必須なので悔しい思いもしたのだが…

自信を無くす一因にもなっているが思い切って前にも進めない。

日々悶々と過ごすだけである。

士農工商はいつまで続く

大河ドラマで話題になった『士農工商』、たまたま最近友人と話が弾んだテーマがあり。

「親が金持ちなら子も金持ち」「昔から士農工商で決まってるからウチら農や商が士と結びつくのは不可能だし無理に結びついても結局不幸な結果に終わる」

アラフィフ、アラカンともなると人生悟った話題になるな〜(笑)

 

もちろん本人の努力次第で登り詰めることはできます。貧乏なのに実力で国立大医学部に進学し努力の過程(?)で資産家令嬢と結婚して病院長になった同期生も数人。

頭の良さで勝負するなら医師になるのが近道で安定しているかも。

 

私は持ち家志向も無く貯金も苦手だけど、豪邸を見るとちょっぴり羨ましくなるのは事実。

『そういう星の下に生まれてきた』人生を色々と想像してしまうのです。

リアルな世界はスクリーン⁈

いわゆるスピリチュアル界隈の人のブログを読んでいると『世界は私だけのためにある』と言い切ってる人もいて、私の思う「スピリチュアル」とはかなり様子が違っているようです。

目に見えない力を神聖なものとして敬い大切にする。心の平和、世の平和のためにそれを利用する。私利私欲に走らず丁寧で質素な暮らしを心がける。

私にとってのスピリチュアルってそういうイメージでしたが、Facebook中心にア◯ブロなどで発信している人たちは別種のようです。

マルチ商法、仮想通貨、ブログの収益化といったワードが頻繁に出てきます。

日々の穏やかな暮らしを伝えるよりも贅沢なホテルに泊まったことやレストランでのディナーの写真を何枚もアップしています。

高層階は「宇宙に近いから『気』がいい」ので下界を見下ろしている写真も大好き。

スタバでパソコン持って一人でお茶することに慣れたことは「ステージが上がった」

そして「現実の世界は私だけのスクリーン。世界は心の中だけにあるから、私の思い次第でどうとでもなる」と作り笑顔の自撮りとともに発信しているのです。

顔出し、本名です。

自分は自己中な人間です、と公言しているように感じるのは私だけでしょうか。

高身長女子の悩みは何歳になっても⁈

ツイッターで流れてきた『高身長女子あるある』

背の高い女性たちの自虐エピソードや辛さ、悩みが次々と。

それに対しリプライでは本人が思うほど高身長はマイナスじゃないよ〜、と優しい言葉ばかりで良かったね〜と思います。

何故なら私自身も高身長なので『あるある』にも悩みにも共感できるからです。

 

幼稚園の頃から年上に見られ、背の順に並ぶといつも後ろから2番目か3番目。運動音痴なのに『バスケ部?』と聞かれたこと数知れず、リレーの選手を無理矢理やらされた時は結局抜かされて文句言われたり。

そして相手に悪気は無くても『デカい』『大きい』の言葉は『女の子らしくない』と言われているようで本当に嫌でした。

 

褒め言葉ではツイッターにあるように『モデル並み』と言われたこともあるし、20代の時に血迷ったオジさんに『女優さんみたいだね』と言われ自分では女優とはかけ離れていると知ってきるので逆に恥ずかしい思いをしたことも。

最近は全く言われないので良い思い出です(笑)

 

私の場合、若い頃は痩せ型(今は標準体重…)で顔立ちもどちらかと言えば童顔タイプのせいか男子に馬鹿にされたり女として見られなかったりはありませんでした。

 

それに、同じように高身長だったり、またはかなりぽっちゃり気味の友達を思い出しても体型だけでモテないとか女扱いされない、ってのは無かったように思います。

やっぱり性格とか人柄じゃないのかなあ?

あと、表情が暗かったり笑顔が少ないと損してるのは確か。

 

そして大人に(オバさんに)なるにつれ、高身長についてアレコレ言われることはめっきり減りました。

若い人達はオバちゃんの身長なんて気にしないし、同世代の関心事は親の介護や自分の病気が中心になるからです(笑)

健康が一番、となってくるので身長が高い低いはどうでも良くなるんです。